フードバンクという言葉を知ったのはいつだったのかな?
ニュースで聞いたのが最初なのか?それともWEBニュースであったのだろうか?
飽食の時代といわれる時を過ごしてきたことがあるので、このニュースは衝撃だった。
特に食べたい盛りの、いや食べなくてはいけない時期の、そして生きるために食べなくてはいけない人に食料がないということを知りました。
いろいろは理由がそこにはあると思うのですが、少しでもお腹を空かせている人に、少なくても食べて貰えればと家にあるもので賞味期限が長く、常温保存ができるものを選ぶ。
そうはいっても我が家も普通の家なので、そんなに沢山のものがあるわけではない。
お赤飯をつくろうと思っていたもち米(これってお腹にたまると思うの)を取りあえず集めている方のところへ持っていく。
集めている方が食べるわけではないのに、とても感謝されました。いやいや、集めてくださってありがとうというのはこちらのほうです。
いろいろな方が持ち寄った食料品の段ボールの中を見せてもらうと、ゼリーやお醤油などがありました。野菜はもらってくれるのかな?と聞いてみたところ、そういうものはここでは集めていないと言われました。そして賞味期限は2カ月前までならOKとのこと。
なるほど。集めても1週間で賞味期限がくるようなものは必要としている人の手元に着くころには期限がきれてしまうかもしれないということのようです。ちゃんと食べてもらえるようにチェックして渡そうと思います。
1億総中流と言われていた時代はすでに昔話。
そして今日本はなんだか寂しい国になってきているような気がします。きらきらした時代で若者がBMWを乗り回していた時代で核家族が主流と言われた時代の30年後がこうなっているとは思わなかったなぁ。
高額な寄付などは出来ないけれど、もしかしたらこのもち米が誰かの飢えを癒すのだとしたらどうだろう?そんな想像をしながら帰宅。でも想像力は人間に与えられた才能だと思っています。
折しもそんなときにkindleで読んでいた本がこちら
「護られなかったものたちへ」中山七里さんの本です。

人気の本ということだったので内容を知らずに読んでみて、衝撃をうけてしまいました。いろいろな死に方はある。でもこの死に方は惨いと。いろいろな制度があり、いろいろな考え方があるとは思いますが、ここは日本という先進国で恵方巻などの廃棄が問題になったりする国であるはず。フィクションとはいえこのような本が出版されていること。それを現実問題として置き換えることが出来るということ。なぜ置き換えられるのかと考えたらTVで東京で無料の食糧の配布をしているニュースをみたことを思い出した。飢えることのない日本の制度を使うこと、使えること。適正な使用が困っている人に早く届くことを祈らずにはいられない1冊でした。
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