「ふたりからひとり」つばた英子著

この本は私が迷ったり悲しい気持ちになったりむなしくなったり・・つまりは負の感情が自分ではどうすることも出来ない時に読む本です。

「人生フルーツ」を観た方なら本の中の英子さんの言葉が声になって聞こえてきそうな気持ちになるかもしれません。

私は今50歳代なのですが、ときおり人生について考えてしまいます。そんなことを考えていられるのは時間的に余裕があるからかもしれませんが、人生の長さと自分の老いについて考えてしまう時があります。

たぶん60、70歳になったらこんなに悩まないのかもしれませんが中途半端な折り返し地点の私は過去のこと未来のことでふと暗い穴の中に入っていくような感覚を持ちます。

日々便利になっていろいろなものが簡略化されていつしか手を動かななくてもお金さえあれば大抵の欲しいものは手にはいる。そしてどこにいてもとても便利に情報を受け取ることができます。この状態がなくなることはないのかもしれませんが、なにか時々疲れてしまう時があります。

多すぎるモノ、多すぎる情報、動かさない体。

ジムに行かないと運動不足になること自体少しおかしいのではないかと思ってしまった私は、「人生フルーツ」を観て以来、体をせっせと使って家の中の片づけをしていますが疲れ果てるほどではないのでいつか畑仕事をしてみたいと思っています。

疲れ果てれば夜は気持ちよく寝ることが出来るであろうと思います。脳だけ疲れていると寝ることって難しいのです。

今の私の心に常にあるものは

人間とはいったいどういうふうに生きそしていなくなるのが良いのだろう?

それはどういう風に生きていくのかにかかっていると思います。

人生フルーツを初めて見た時とても驚きました。高齢でありながら毎日忙しそうに畑仕事をして食事の内容も素晴らしかった。瓶に入ったフルーツのジャムを見た時はどんなデパートで売っているジャムよりも、つばたさんのジャムのほうがやさしい味がするような気がしました。

手をかけてという言葉は今の日本では聞かれなくなってきているように思います。長引くデフレでいかに安く、いかに簡単に手に入ることのほうが重要だと思っている人が増えたからなのかもしれません(私もそうだったし、いまだに疲れるとそうなります)

この本はしゅういちさんと英子さんのお二人の生活を垣間見れるという今までの本にくらべ、なぜそういうことになったのかということを英子さんの目線からのお話で腑に落ちる部分があります。

しゅういちさんの最後の様子、そして普通のお葬式を選択しなかったこと、娘さんたちの様子や

タイトルの「ふたりからひとり」という環境になった英子さんの生活を読んでいると自分の今の悩みがまるで薄い凝り固まったモノに感じます。

誰にでも当てはまることではないのかもしれませんが、私にはこのお二人のモノに対しての考え方にほっとします。

常識ってなんだろう?今の時代はみんなこうしているからそうしないと。

そんなことを打ちこわし自分のしたいことを地道にひたむきに、そして何より楽しんでいけたらいいなぁといつも読み終えると思います。

英子さんの大きくてほかほかあったかい愛情としゅういちさんのまっすぐな心のかけらが読めるこの本はきっと私の人生のバイブルになっていくはず。

もしも80歳という年齢になるときがきたら、全部は無理でもこういう風に生きていきたい。

毎回本を読んでいるとすっとはいってくる文章があるのですが

今日は「あまり悲観的に考えすぎないで出来ることを一生懸命していくしかないとい思うのよ」でした。

いつも同じではなく読んだときに頭の中でパンパンに考えていることに結び付くような言葉を心がキャッチするようです。

人生に悩み人生の先輩の背中を探しても今の世の中にはこうなりたいと思う方が近くにいない方

毎日同じ日常を送っていて理由のわからない焦りのある方に是非読んでもらいたい。

肩の力が抜けて良く寝れますよ。

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この記事を書いた人

50代になり子育ても終了までカウントダウン。自分の時間が使えるようになったのでいろいろと挑戦していきたいと思っています。趣味の読書・映画・勉強・PC ・ドライブを中心のブログです。そして子供の顎変形症の治療の記録も書いていきます。悩んでいる人の参考になればと思ってます。

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