昨日のニュースで耳を疑う様な「瀬戸内寂聴さんが99歳でお亡くなりになりました」というようなものが飛び込んできた。
本当に飛び込んできたという表現がぴったりなニュース。
耳を疑ったのは、寂聴さんはなんとなく不死身というか、いつかはそういう日がくるのかもしれないけれど、それはまだ先の話と勝手に思っていたからです。
昔TVに出ていらした寂聴さんを見た子供だった私は尼さんがTVに出ていると興味を持ってみていたように思います。
話し方が柔らかいのですが、質問に対しての答えにきっぱりとした感じがして面白かったので本を読むようになりました。
自分はこう思うということが体験などから身近に感じるような言葉で話す寂聴さんの話とお坊さんなのにこの本はいかに?と思ったことを覚えています。
あれ?この本て本当にあのお坊さんが書いたものなのかなぁと思いながら、本屋さんであれこれ本を選んでは読んでいた記憶があります。
気になると一気にその著書を読みました。時々の引っ越しで本を手放しながらも長期間にわたっていろんな本が読めたことは私が生きていく上で時には慰めにもなったし、時には理解できずに読み終わったこともありました。
そんな読書を続けているうちに2011年の東日本大震災後の活動を知りとても驚きました。
被災地に駆けつけることが出来ない体調でも被災地に寄せる心はすごいものがあった。
いろんなことがあった人生であったと思います。
私たちはみんな人に言えないこと、泣き叫びたいようなつらいことを抱えて生きていると思います。
苦しい時に説法を聞くと明るい気持ちになれたのは私だけではないはず。
一度説法を聞きに伺いたかったということは叶いませんでしたが、これからも眠れない夜は説法を聞いて笑いながら寝ようと思います。
最後に黒柳徹子さんの「みんなの味方が亡くなった」という言葉に涙が出そうになりました。
この状況をこんなに的確に表すとはすごい。
この喪失感は「みんなの味方が亡くなった」からなんですね。
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