子育て卒業
3月に末の子の卒業式に立ち会いました。私の時代には親の出席があったのかはよく覚えていない。たぶんではありますがなかったかと思います。遠くから一人暮らししていた子もアパートを引き払いわざわざ新幹線で式に出席していたのを思い出すと近くに親はいなったのでたぶんあの時代は自身だけの出席だったんだと思います。
コロナ禍の終わりが見えてきたとはいえいまだ大勢の集まる会であることからマスクの着用と親の出席は1時間ほどに限られていました。しかしそれでも子の晴れ姿を見ることが出来て嬉しかったのはいうまでもありません。この子の成人式は中止になっていたので仕方がないこととはいえ大人になったというハレの日の行事は卒業式になります。
前日まで行かないつもりでいたものの急に行こうと思い立ち出席。
行ってよかった
会場にはいってキョロキョロしていたら袴姿の娘が手招きをしていました。
急に大人びた様子に驚いてしまったけれどニコニコと写真撮影をする娘。そしてその傍らには仲良くしてくれていた友達がいました。
「いつも娘がお世話になって。いままでありがとございました」と言うとお友達もしっかりしたお返事してくれました。もう大人なんだと娘と友人がまぶしく思えました。
思い返せば
我が娘はものすごくくいろいろなことに興味のある子でした。
生後6カ月でハイハイをして9カ月で立ちすぐに走り出した娘を心配して検診のとき「股関節を痛めませんか?」と質問したことをよく覚えている。強要して立たせたり歩かせたりするのはよくないけれど、自分の意志ですることには問題はありません。というお話だった。
安心したのも束の間、いろんな問題が毎日のように降ってきたこともある。
なんだかへとへとになって早く子育てなんか終わりにしたいと思ったことも何回もある。
強烈だったのは反抗期
しかしいまは自分の進みたい道をみつけて勉強しまっすぐ前を見つめて歩き出そうとしている
人生は天気のようなものなのかもしれない
うっとりするような晴天の中の式であった。
娘は友達と記念撮影をしている。
私は先にホテルのティルームへいくことにしながら3月の青い空を見ながら歩いた。
私にもこういう日があった。希望にあふれていた季節が確かにあったのだ。
今は母になり長い年月を子育てと仕事、家事に追われてきた。
人生は天気のようなものなのかもしれないね。
こんな晴々した空をまたみたくて人は努力をするのだろう。
雨の日は晴天を望み、晴天が続くと潤いを求めて雨もいいなとおもったりするのかもしれないですね。
ひどい嵐に会いませんように。もしあってしまっても立ち直る強さをこれから自分の力でつくっていかれますように。
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