思春期から20歳までの人間関係
中学時代だったと思う。手をつないで女子はトイレに数名で行く。
流行っていたのか?それともそういうものなのかはよくわからないけれど私はそういうことが苦手だった。
かといって友達がいないわけでもなく部活にはいり土日も部活に明け暮れていたのだからそこそこの人間関係は作れていたんだと思う。しかし当時を振り返ってもやはり一般の女子と同じような行動ではなかったことは確か。
もしかすると周りの人によってはいじめの対象になったいたかもしれません。ただ運が良かっただけだったような気もします。
女の子同士各グループになっていたけれど私は特定のグループに入らずに過ごしていました。特に困ったことはなかったけれど修学旅行や課外授業などは仲良しグループの定員に達していないところに最後に加わっていたようにも記憶しています。バスの隣の席には同じような子が座るかグループで端数になったこ座るという感じでしょうか?ドライブが好きだったので苦痛にもならず。時々まわってくる飴などの差し入れも「ありがとう」と普通に受け取り美味しくいただいてました。
大人になってからのお付き合い
大人になっても大人数での遊び方をしなかったのでけれど不思議なもので同じようなタイプの人たちが私のまわりにいて一緒に出かけても出かけなくても同じグループ内であっても居心地の変化もなく幸せな時間が過ぎていきましたが、結婚したあたりから20数年におよぶ大変な時期に入ってしまいました。
それは「苦痛」でしかないものだった
結婚して生活を始めたのが主人の出身地であったことも大きい。そこは田舎であった。
田舎というものは良くも悪くも人との距離が近いのだ。
そしてその近い距離で生きてきた人たちに「なんでそんなにいろいろ聞いてくるのか」と尋ねても晴天の霹靂としか思われません。
私のことが宇宙人にしか見えないと思うのです。舅、姑もしかり。
しかしその中でうまく生きていこうと奮闘したのがいけなかった、ストレスで突然目が見えなくなったり、メニエール病になって立てなくなったりしてしまいました。
それでもその時の私はなんとか頑張ろうと思っていたようで仕事に育児に舅、姑の関係に奔走しておりました。
もういいか
20数年を振り返ってもっと早く脱出しておけばよかったと思うことも今はありますが、かといって遡って生きれるわけではないということでへとへとになった私が出した結論は
「もういいか」
でした。
私は私の為に生きているのであって他人の為に生きているわけではない
ふと思ったのは子どもが大きくなり自由に使える時間が増えてきたときに今後を考えたからです。
舅、姑を始め田舎の親戚の為に嫌な思いをする必要はない
嫌なことは嫌だし、好きなことはやりたいのだ。
ここで引っ越しが出来ればいいのですが仕事の関係上出来ないので、これからの人生は自分の好きなように生きていこうと思います。
まずは自分にお疲れ様。そして残りの人生を楽しんでいこうと思います。
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