少子化といいますが子育てが終了して思う事

一定の水準で文化なり経済なりが成熟した社会は少子化になりやすのかな?なんてニュースを読みながら思います。

日本も思い返せば私の中学時代には将来は子どもが減るという試算があったように記憶しています。

試算があったのに少子化になってしまった日本。いろいろな要因があると思いますが一国民として日本での子育て事情について語りたいと思います。

私の子育て開始は約25年ほど前。それを踏まえて読んでくださいね。今回は思ったままに書きますので感情満載の文章は苦手なかたはどうかお読みにならないでください。

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目次

1・妊娠から出産までの重い日々

妊娠発覚から出産までを思い返せば「重い日々」でした。

つわりが重い・体が重い・気分が重い・期待が重い・準備が重い・出産が重い

どれにも当てはまらない人もいるかと思いますがフルセットで重かった。四半世紀も前だからでしょうか?大きなお世話の「男の子だといいね」という言葉。なぜ?なぜ男だといいのだろうか?これは田舎あるあるらしいですが平気でいろなん人に言われたことを思い出します。

つわりで苦しんでいると「私のころは・・」という親世代の言葉が重かった。人それぞれである。私は何故かつわり中は舌を犬のように出していると気持ち悪さが半減しました。ヒトソレゾレ

日に日に体か重くなり気分が重くなった。出産を経験された方はあまり公にいろいろ言いませんが自分の体の変化に心底驚いたこともあるはず。だって今になって友人があのころはね・・・と打ち明け話のように体の変化について言いますもん。

一族の期待なのかなんだかわからない期待に押しつぶされそうになる。いまならモラハラとか言えるのにとも思います。

身重での準備期間はあれこれ女性が用意することが多くないですか?もちろん好きなような用意できるという利点があるにしても全部自分で決めるのが大変だった。体調も悪かったりしたのでね。

出産を普通のことのように国会などでは議論されていますが、出産とは命がけです。あんなに簡単におじいちゃん議員の方々にいろいろ言われたくないなぁと思います。全部わかってくれとはいわないけれど一人の人間をこの世界に誕生させるにはやはり大変であるということを理解しようとしてほしいものです。

子どもが大きくなるということ

命がけで出産した我が子は可愛いのですが、親と同じ思考ではないので意見の相違でぶつかることもあります。このピークが思春期。思春期だけが反抗期ではない。反抗期というより人間として考え方が違うのです。ここを理解しようとしないと大人になっても子との付き合い方が難しくなると思います。

自分で産んだ子ではありますが、全く別の人間なんだと思うまでに私は一定の時間が必要でした。

だってあんなに小さくてあんなにママ、ママって後追いして一緒に寝て・・・

そんな日々をちゃんと親が卒業しないと子が大人になってもいろんなことに口を出すようになります。

自分の子ではあるけれど一人の人間でそういう考え方もあるものか?くらいの距離間が必要かもしれません。

自分の時間を全力で使って育ててその先にあるもの

冷静に考えてもどうしてそこまで子供の為に自分の時間を使いまくっていたのかは本当に不明です。

本当に。

これはもう理性だのなんだのって話ではなく人間も動物と思えば理由になるかもしれません。

もうちょっと自分の時間を大事にしたほうが良かったかもしれないと思ったのは子どもが就職してから友達との旅行帰りのご飯はどうしましす?と聞いたら「もう気にしなくていいよ。帰宅時間も分からないし、お腹すいてたらなにか食べるし」という言葉と「夜遅くまで待ってなくていいよ」という言葉から。

そうかぁ~そうかもなぁ~と変な話、目から鱗でした。この日から土日の食事は各自ということになりました。

自分にとってやってあげたかった事、子供がやってほしかった事は微妙に違うのだということもだんだんわかるようになります。そして若い彼らには親の気持ちはわかりにくいのだと思います。誰しもその立場になって初めてわかることって多いですよね。

子どもが自立して広い草原にポツンと一人たっているような気持ちになったことは家族にも言っていない

さびしいとはちょっと違うかもしなれいあ感情は今後どういうものなのかわかったら書きたいと思います。

子供を育ててみてどうでした?と聞かれたら

育てなければ良かったとも育てて満足しているという気持ちにも正直なところなれません。

思うように育児は出来ず、未熟な私は何度も自己嫌悪になりましたし逆に言えば育てなければ良かったとか生まなければ良かったとも思いません。子どもは可愛くもあり私から生まれたのにこうも考え方がちがうのかと心底驚いたこともありました。

自分の中ではなるようにしかならないのだからという気持ちがあるからなのかもしれませんがどちらが良いということは全くない。

人間が動物である以上は本能的には子孫を欲するものだとも思いますが、こればかりは人によるのではないかとも思います。

キーボードを打つ手を止めて考えること数時間

やはり生んで良かったと思います。子どもから教わることはとっても多かった。今の自分があるのは子どものお陰だとも言えます。

ちょっと経済的なこと

子供一人に1,000万円といわれていた時代もありましたが、今は2,000万円くらいはかかっているように思います。これは妊娠からの計算ですが大学卒業までそのくらいはかかっています。割とメモ魔なので手帳に子ども一人づつの金額が残っています。一番大きかったのは大学の費用と一人暮らしの費用でした。

子どもが小さい時には自治体によって補助があったりしますが子供手当という言葉があちこちで聞こえるようななって数年後には年齢が対象外になったので我が家には数年間だけでした。

衣服、食料品、病院代、お付き合い費などもなかなかな費用でした。義務教育時代にも制服(夏・冬)と体操服、通学カバン、上靴、ローファー、運動靴などの入学費用は20万ほど。ちょっとの出費を足していくとのけぞるような金額にすぐになるというミラクル。ピアノが大好きな子どもの習い事の費用は12,000×12カ月×16年間=2,304,000というように習い事もばかにできませんでした。もちろん途中でやめることも検討しましたが、子どものストレス発散はピアノだったこともあり16年間習いました。

毎年のお年玉は一部を除いて進学の費用にすることは子どもの了承を得てました。そうはいってもなかなか使えなかったので大学生になる時に貯まったお金は子どもに渡しました。

節約できるとこは節約をしてこの金額です。え?そんなに?と思われるかもしれませんが生まれてすぐに着せる50㎝の産着1,800円から計算しています。我が家は裕福ではありませんが、子供が生まれてからの節約をきっちりしてきたのでなんとか出来たのではないかと思います。

ミニマリストという言葉以前に我が家は夫婦はミニマリストにならざるを得なかった。

もっとこの国が子育てするのに経済的にも楽な国だといいなぁとは思います。

例えば義務教育中の体操服なんて同じ自治体の中なら同じものでいいのでは?小学生と中学生でわざわざ買い替える必要はないのでは?高校の時に買ったジャージは洗い替えも購入しましたが1枚で十分だったのに名字を刺繍するのは入学時だと500円、途中に買い足すと1200円とか謎ルールがあるものも無駄なような?途中で買うと納品まで1ヶ月かかるとか言われると就学旅行で必要になるのかな?どういう使い方をするのんだろう?と入学時にどうしようかと考え洗い替えを購入したのを思い出す。結局いらなかったけど。進学するたびに費用が重いのはなんとも大変でした。

高校にいけば教科書代がものすごく高くてびっくり。部活をすれば大会代金の集金。夏合宿の費用、大学受験用の塾の費用、もしかしたら大学の推薦枠に応募するかもしれないというのでボランティア活動への交通費や昼食代、模試代金、入試費用と交通費・・・上げればきりがない。もちろんこのほかに育ち盛りの食事、衣服代、子どものお小遣い。

高度経済成長時代の子どもの私と今の子どもを同じように育てれば大変すぎるのです。

そういえば子育てがおわったので夫婦共に身の回りのものを買い替えるようになりました。

夫はかなりなんと35年大事に履いていた冠婚葬祭の靴を買い直したりしています。

子どもの希望通りの進路を考えた時、今の日本は家庭の中でどこかを犠牲にしないといけないということです。もちろん私も働いていますが自分のものはなかなか買えなかったので今、必要最低限のものを新調しようかなと思っています。まぁ最近は冠婚葬祭も簡略化されていているので本当に必要なものだけですが。

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この記事を書いた人

趣味は読書とドライブ、水泳や散歩も楽しみます。最近は庭作りにも挑戦中。いくつになってもいろいろなことにチャレンジできたらいいなぁと思っています。よろしくお願いします。

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