ここまで生きていると平穏無事に朝目が覚めることはとてもラッキーなことなんだと気が付く。
昨年の12月に中山美穂さんが突然お亡くなりになった。ネットで知ったのですがあまりに衝撃が強すぎて家族に本当なのかな?とLINEしたほどだ。
お風呂から出て明日の為にハンドクリームを塗っていますが明日が訪れる確約はない。
来年ここにいるのかもわからない。
そんなことをいいながら100歳まで生きながらえるのかもしれない。
いつも不平不満を言っていてももったいない。
毎日をちゃんと生きていくということが人生において大事なのかもしれません。
毎日同じことの繰り返しかもしれないけれど、そんな毎日の繰り返しを丁寧に過ごしていくことが大事なのかもしれません。
ふとそんなことを思ったのは「日々是好日」という映画を観てからです。
母が長年お茶を習っている。私も若い頃は同じことを何回もやっていてたのしいのだろうか?と思ったものです。情緒のかけらも持ち合わせていなかったのだと思います。
春夏秋冬でお茶の道具など変わっていくのですがまた1年が過ぎ冬になれば、または夏になれば同じことが繰り返されます。また干支に寄ってお正月に使うお茶碗も違ってきますが12年が過ぎまた同じ干支になれば12年前と同じお茶碗を使うこともあるということです。
なんとも気の長いことだとおもいますが、この映画を観て日本人の生活や我々の日々の行いの凝縮したものを感じてしまいました。
繰り返される日々のありがたさ。
その季節によって変える生活の道具
一つ一つの道具を大事に、所作も丁寧に。
そんなことを考えた冬の夜でした。
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