子どもが大きな手術をした後の私は子どもに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
なにかしてケガをしたわけでもない。
それなのに8時間などと言われる手術をすることになるとは。
しかしこのことは本人には言わなかった。この先の子どもの人生の良くない記憶になることは言わない。
顎を手術する。治った。そういうこともあった。
と長い人生の中で考えてほしいと思ったからです。
都合の良い言い訳のように聞こえるかもしれないけれど物事のとらえ方によって人生は思っている方向へ引っ張られることが多いように思うからです。
楽天的であれ
最近の私はそう思っています。
手術の当日はコロナ禍の真っただ中。病院で待つことも出来なかった。
家に帰り時間を計る。7時間経過したら病院へ向かおうと決めていた。6時間経過したころ病院から電話があった。飛び上がる勢いで電話に出たら手術が終わったのですがお母さんはどこにいますか?先生が話したいことがあるそうです。という看護師さんからの電話でした。
あわてて病院へ向かい術後の部屋に行きたかったけれど廊下で先生の到着をまった。
待っているうちに助手の先生が私をみつけ「先生は今きますがお子さんとは今日は会えません」と。そんな会話をしているうちに執刀医の先生が現れた。「少しならいいよ」と大らかにおっしゃってくださったので病室へ。
この時点では顔も腫れていないし顔に巻かれたサポーターのようなものとみなれない靴下がいつもと違う感じであった。
病室で先生は今日の手術について細かくお話くださった。そして手術をしたあとにちょっと気になるところがあるので来年の手術の際にそこも手術したらどうかということもお話くださった。
内容を頭の中に記憶することで精一杯だったのは無事に手術が終わって顔を見れた安心感からだろう。
下の顎の真ん中を触っていただきたい。少し骨があるのがおわかりになりますか?その骨があまりでていないのでもしかしたら普通の生活の中で口が開いてしまう可能性があるそうだ。そこを来年の手術で形成するということだった。
いろいろなことがある。
質問はありますか?と丁寧に聞いていただいたのでその時点での気になる事をいくつかお聞きした。
ほんの少し病室にいてもいいはずでしたが涙ぐんでしまったわたしに先生は30分くらいいてもいいですよとニコニコと笑いながら言ってくださった。
先生の退出で二人になった子どもの私ではありますが、子どもはまだ寝ている状態。手を握ると握り返してきたのでとてもびっくりした記憶があります。その時のことをあとで子どもは「来てくれていたのはわかった」と言っていました。
30分いてもいいですと言われたけれどいろいろな感染や術後すぐの処置などで慌ただしくみなさん動いている。早々にありがとうございましたと廊下にでました。
その後、駐車場で落ち着いてから帰ろうと家族に電話をしたりしながら過ごしていましたがなんと落ち着くまで1時間半もかかってました。
そのころになってやっと先生にもっと聞いておくべきだったことを思いうかべました。
というのも手術中にいくつかの変更があったそうで、そんなことまで考える余裕がなかったのです。
詳細はまた書こうとおもいます。
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