今年も母の日がやってきた。
店頭にはカーネーションが並びとっても華やかでした。カーネーションをいただくもこの日に合わせる為なのかいままで残ったものはない。2年ほどなんとか手をかけて咲いたことはある。しかし徐々に元気がなくなりだんだん消えていくというのが定番だ。
今年はシャンプーとトリートメントのセットとカーネーションをプレゼントしていただいた。カーネーションを初めてもらったのは確か子どもが3歳くらいのときに主人がお花屋さんに行って一緒に買ってくれたんだと記憶している。
あれから長い年月がながれ、その途中には反抗期もあり母の日がない時期もありましたが最近また復活しています。そして花の色は赤からピンクへ。
なんとなくという理由のピンクですが個人的にはかなりカーネーションのピンクは好きな色です。
私の子供の頃は真っ赤なカーネーションが主流だった。
主流というよりそれしかなかったようにも思う。そしてうっすらとカーネーションの記憶を思い出した。
いったいどういうことだったのか学校でカーネーションをもらってその花を母に持って帰ったような記憶があります。なぜそんなことを覚えているのかというと母親のいない人は白いカーネーションだったからです。各家庭の事情など知らない子どもが先生の配る花で事情を垣間見てしまった。白いカーネーションは父親に渡すということだったと記憶している。白いカーネーションを手に持った男の子は下を向き誰とも目を合わせなかった。先生は忙しそうに帰りの会をしていた記憶。なんとも悲しい気持ちになる記憶でした。
あのころは差別は普通のこと。男女の差別、家柄の差別、出身の差別など差別を差別と思っていない感じだった。まさに普通のこと。
なんせ「かぎっ子」という共働きがバカにされていたようなこともありました。
いったいどこのだれが白いカーネーションという発想をもったのかな?私の地区だけの話だったんだろうか?
人には知られたくないことがある。それが些細なことであってもだ。現に私も若い頃は足の人差し指が長いことがコンプレックスで友達と海に行くのを本気で悩んでいたこともある。
知らなくていいことは今の時代も沢山ある。
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