NOをいう練習・3

どうしてこういうことになったのだろうか?

それは私のあまり気にしないようにするという性格にもよるものだと思う。相手が一方的に悪い訳ではない。

ではそういう時にどうしたらいいいのだろうか?もしも相手が身近な人でなかった場合は逃げればいいのだ。そう1でも書いたようにそっと席を立ちいなくなるのだ。

でもそれが出来ない距離の人だった場合はどうだろう?言い返さない人をそういう人たちは逃さない。

飲み込まれていく以外にないのかな?なぜこんなことを書いているのかというと世の中はたぶん私が思っているよりも嫉妬や妬みの渦が渦巻いているからです。

個人的に仲良い友人の家が旧家と呼ばれるような家で「これってどこから家なのかな?」という塀をお持ちでも「こんな世界があるのか」という感想で終わるのですが50代になり一般的には何かしらのダメージになるであろうことを人は言うものだということに嫌気がさしております。

私が実践しているのは以下のもの

1.物理的な距離をとれる場合は取る。

会わなくていい人とはLINEの返信からはじまりお礼などは手紙を出す。自分の家庭内の情報は出来る限り離さない。話す時には一般論で返そう。

2.物理的な距離をとれない場合

相手のご機嫌を損ねないようにする会話はしない。いままでの私はここがいけなかったんだと思う。「そうですね」など思ってもいないことは相槌もうたない。なんなら「そうはおもわないけど」という自分の意見をはっきり言う。言って壊れる関係ならいらない。

3.自分を俯瞰してみる癖をつける

人は他人のことはよく見ている。あんなこと言わなければいいのにというふうにだ。自分のこともドラマでもみているかのように見てみよう

4.自分の親友は自分

親友になろう。あんなこと言われて大変だったね、あれはないよね。という感じだ。他人をいたわることばかりしてきた半世紀。自分もちゃんといたわろう。

昔からあったであろう妬みのような感情は年々肥大化していくのでしょう。日本が豊かで総中級と言われて時代にはここまでではなかったように記憶しています。将来が手に取るようにわかるような気がする昨今。豊かな生活を送っていくのは大変なこと。

日々のフラストレーションを弱い人にぶつけるのは弱い人なんだからしょうがないかと思っていた私。気持ちはそうでも体調をくずし病院の先生に「ストレスですね」と言われたのはもう10年も前。それでも自分にしか愚痴が言えないのかな?口が悪いところはあるけどいいところもある、など相手を甘やかしてしまった。

人生、出来れば気持ちよく過ごしたいじゃないですか。

人間はいつか灰になるだ。それが早いのか遅いのかは個人差があるけれど50を過ぎた私にはそう時間も残っていないだろう。

もう自分を第一に考えてもいいはずだ。

子育ても終わり子供は「楽しく過ごしてほしい」という。今までの苦労を見てきたせいだと思っている。

相手はきっと変わらない。変わらないという確定事項を前に私は考える。

これは自分の人生を取り戻すということなのだ。

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この記事を書いた人

趣味は読書とドライブ、水泳や散歩も楽しみます。最近は庭作りにも挑戦中。いくつになってもいろいろなことにチャレンジできたらいいなぁと思っています。よろしくお願いします。

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